瞬を終えて~人として生きる 寄稿 クロネコ聡史
まず初めに夢奇房第三回公演に際し、多大なるご迷惑をかけた『横スカパラダイスオーケストラ』の皆様に深くお詫び申し上げたい。
時は2月11日、公演が二週前と迫ったその日、プロの照明さんである斎藤氏、それからプロの音響さん杉沢氏がリハーサルに有志として参加してくださった。
その後のスタッフミーティングにおいて、スカを迎えて赤羽会館で公演を開催するのが物理的に無理だという事実に直面し、練習していただいていたにも関わらずお断わりせざるを得なかった。
数々の人に支えられ、迷惑をかけ、ここまで歩んできた夢奇房だったが、ここまで直接的にしかもメンバー12名という大勢のアーティスト達に迷惑をかけたことは団体としても、個人的にも忘れられない出来事となった。
この事実なくして瞬は語れない。伏せておくなんてとてもできなかった。
本当にすみませんでした。
時を同じくして公演二週前にWEBマスターのOZこと長田さんから執筆を依頼された。私には文才も無く、学歴も平凡なもので乱文ですが、気持ちを直に文面化しましたので御了承ください。主観的にとリクエストがありましたので、完全に『音響クロネコ』視点です。臭いかもしれませんが決して恥じません。正直な気持ちだから。
私はこれまで各公演にテーマを掲げて取り組んできました。好奇心から始まった第一回公演『然』、可能性を模索した第二回公演『凛』、第三回公演のコンセプト…実は一ヵ月前まで頭に浮かばなかった。
自身が舞台で何を得ようとしていたのか忘れてしまっていたのかもしれない。
…不思議なもので毎年公演前には壁にブチ当たります。最初の壁はLABOMBA氏の辞退でした。彼への期待は夢奇房内部のみならず、外部からも『何をやらかすかわからない演者』として非常に大きいものでした。そんな彼の辞退…衝撃が走りました。
ひょんなことから彼とは夏に旅行に行きました。その頃から『次の公演では…』なんて話をしていたにも関わらず、突然の辞退表明。突然という言葉は間違いかもしれない。彼は表明まで相当悩み、苦しみ、迷い、その末の決断だったはずだ。
後に私を襲った『自己との闘い』を彼は乗り越え、自ら辞退を決意した。理由は様々ある。賛否も分かれるだろう。しかし『最高の舞台』を目指す為の英断、私は彼を生涯尊敬し続けることでしょう。いつかまた最高のSHOWを観せてくれることを信じています。
二つ目の壁は1月の終わりにやってきました。『各演者の演技がまとまらない。』公演一ヵ月前にして苦しい問題でした。
もともと手品・ジャグに関しては素人である私がみんなの演技を素人目で批評するのが役目というか、一つ大きな仕事であったのですが、凝った演出の為に音響で手一杯になってしまい、もはや演者にコメントの一つもしてやれない状況でした。
『みんなが苦しんでいるのに俺は何もしてやれない。』
自分の力の無さを恨みました。確かに音響という大事な仕事があった。しかし、舞台の上で姿を見せる彼等には計り知れない苦労があり、挫折があり、やっとの思いで演技を完成させるのに、助言もしてやれないなんて…と『自分の存在価値』を自己否定するところまで落ち込みました。(勝手に)
そして考えに考え思い出したのです。『自分のやりたいこと』『舞台で得たいもの』『夢奇房とは』『生きるとは』『自分とは』…
リーダーのスーとも練習外でかなりの時間語り合いました。
たまたま音響でコンビを組んだYUKOさんとも話をしました。
そして二月初旬、自分の中に生まれた第三回公演のコンセプト、それは『人』
瞬を御覧になった方はそのストーリーをご存じでしょうが、支配人の姿こそ自分の姿であり、夢奇房の姿なのです。
『面白かった』とか『すごかった』とかいう感想は正直いらなかった。『感動した』と言わせよう。リーダーと共に結論を出した秘かな裏テーマでした。
古びた舞台を気だるく掃除し続ける平凡な日々を送る支配人、それはしがない毎日を送るサラリーマンだったり学生である夢奇房メンバーの象徴。まさに過去の栄光に想いを馳せる支配人そのもの。
僕らは舞台に想いを馳せ、会社員になっても夢を諦めきれずに夢奇房を立ち上げました。
そして舞台の魔法にかかり、過去の光輝くステージを目の当たりにし、『明日からまた頑張ろう』と生きる力を取り戻す支配人のその様は、夢奇房として公演し日々の活力にしている我々とリンクするのです。
そんなコンセプトを胸に望んだ練習にてまた高く立ちふさがった壁、それがスカの一件でした。
『人』というテーマを前にして人に迷惑をかけた。涙が出ました。ひっそり行われた2月11日深夜のプロデューサー、リーダー、クロネコの三者会議にて、三人して目に涙を浮かべ、鼻をすすりました。
そんな壁を乗り越え臨んだ本番一週間前の土曜日の練習、そこにまた壁がありました。『演者が揃わない』できないとか遅いとかならいくらでも取り返せるのに、居ないのでは話が先に進まない。毎週リーダーの放つ『リハお疲れさまでした。』という言葉が私には虚しく聞こえました。『人が欠けてしまってはリハではない。』毎週そう思っていました。
しかし、2月18日遂に全演者が初めて揃いました。結局夢奇房は一週前まで問題を抱えて臨むのです。
無事に本番週を迎えるには今日決めるしかない…という例年通りの異様なムードの中、去年と同じ『鬼の3回リハ』が始まりました。
結果…ミスの連続。完全なノーミスが一度もなかった。昨年とは違う一週前のムードだった。
しかし、進捗が遅かったにも関わらず一応の形にはなった。気持ちも表面化した。しかし不安を抱えたまま本番週に突入してしまった。しかし私自信は納得できていた。なぜなら夢奇房を信じているからだ。
『こいつらに不可能はない』そう思っていた。理系の私に『裏付けのない100%』を信じさせる力が夢奇房にはある。無理ならきっと今夢奇房は存在していない。
これまで様々な苦労をし、様々な想いがあったが、いよいよ本番の週末を迎えた。
変態社会人が多いせいか、金曜日だというのに練習には数多くのメンバーが顔を出していた。…この馬鹿ども、俺は大好きだ。
個人練習が中心だったが、非常に充実していた。その日の晩の酒も異様に旨かった。
本番前日、午前中に個人練習をし、午後は束の間の休息があった。
恒例行事の靖国参拝とホイコーローを済ませ、赤羽に突入した。
毎年のことだが、会場入りすると舞台スタッフの忙しさが激増する。設営、照明や音響のチェック、その他舞台効果のチェック…しかし、日曜の15時頃までに完成形となった。
そして望んだゲネ、小さなミスはあったが、これまでとは明らかに違った形で成功した。夢奇房のメンバーが舞台の魔法にかかった瞬間だった。
光輝く照明、スピーカーからの大音量、完璧に仕事をこなす舞台スタッフ、そして演者の生き生きした顔…舞台は生きていた。そして成功を確信した。
ゲネが終わり、恒例の円陣を組んだ。プロデューサーの佐野は声出しを私に委ねた。不思議なもので、もともと何も関係ない二人は三年の時間をかけて絶対的な信頼関係を築いていた。
私、秋、リーダーの奇しくも立ち上げから公演に携わった三人が四十数名に喝を入れた。『感動を与えるぞ!』『俺たちは強い!』『最高のものにするぞ!』
そして本番、舞台は夢と希望に満ち溢れていた。
一年振りに迎えた本番の90分は瞬く間に過ぎ去った。その瞬間を駆け抜けた。
大成功、客席からの拍手がそれを証明した。舞台裏では握手をする者、抱擁する者、一人静かに涙する者…様々だったが、全員が成功を噛み締めていた。
私は舞台を通じてお客さまに感動を与えたい。希望を持って生きてもらいたい。苦労はあるが、夢は叶えられると信じてもらいたい。
演技や演出は拙いかもしれないが、夢奇房がそこにかける情熱はどこの誰にも負けないだろう。
境遇も違う、年令も違うメンバーが、『最高の舞台』を目指し夢奇房に集い、苦労を共有し全員で成し遂げ感動する。
こんな人間らしい人間の集まりはなかなか無いだろう。自分の存在意義を生々しく感じ、生きる喜びを得られる場所は他では考えられない。
全員が素人なのに、受付係から演者まですべての人間がプロ意識を持って取り組むことこそ夢奇房の力の源であろう。
そしてその『舞台』に引き寄せられ集まる夢奇房メンバー、四十数名。一人でも欠けたら成り立たないその一年に一度のその日を共有できて幸せだと思う。
『自分が自分である為に』『自分にしかできない事を』
これを求め、また来年も公演に立ち向かって行くだろう。
私は夢奇房に携わって自分でもハッキリ感じる程変わりました。
『夢』『希望』『自信』『仲間』『喜び』『社交性』…足りないものすべてを夢奇房は与えてくれました。
すっかり『人』らしくなりました。生きていたいと願うようになりました。
この団体には本当に不思議な力があるのです。
観にきてくれる方々には、夢奇房公演の裏側にある想いまで是非感じ取ってもらいたい。五感で…いや、第六感まで感じてもらいたい。きっと胸を震わすパワーがその舞台にあるに違いない。『人』として生きている喜びを感じていただきたい。
人は一人では生きていけない。夢奇房の公演は数々のドラマが詰まった玉手箱だと思う。
今の世の中に『人間らしく生きる』という素敵な空間を生み出す夢奇房にもう少し身を投じていたい。
そして夢を叶え続けて生きていきたい。
また、今回出演を辞退した数々のエンターテイナーに『夢は諦めないで』と伝えておきたい。
最後に、夢奇房公演を観にきてくれた全てのお客様と夢奇房全メンバーに敬意を表して…ありがとう。
夢奇房音響チーフ クロネコ聡史